初めまして。橋口麻友子です。
ブログ始めました。
これから仕事のことなどを書いていきたいと思います。
それぞれの仕事でどんなことをして、どんな思いを持っていたかをご紹介します。
〇看護師時代
大学卒業時に看護師と保健師の免許をやっとの思いで取り、最初は大学病院で働きました。
希望したわけではなかったけど、最初の配属は産婦人科でした。
ポンコツ頭に何度自分を嫌いになったか。。
産婦人科では、出産やがん患者さんの終末期ケアなど、
人の一生の最初と最後に関わらせてもらうことができました。
その後転属した消化器外科でも、終末期のケアに関わらせてもらいました。
ここで私は、人生は一度きりだということを肌で感じました。
後悔なく生きたいと思ったし、後悔なく生きる人を増やしたいと思うようになりました。
〇保健師時代
後悔なく生きるためには、病気になってからケアするのではなく
病気になる前に予防することが大事だと思い始め
保健師として働くことにしました。
保健師には色々な活動領域がありますが
私は、働く人が元気でないと、日本経済は良くならないと思ったので
産業保健師として働くことを選びました。
私の学生時代はバブル崩壊後だったので、
周りの大人から「バブルの時はよかったのに。」という話を聞きながら成長してきました。
学生時代の私は、これから自分が生きていく社会が暗闇のような気がして
社会に出るのが怖かったのを覚えています。
だから、社会を明るくしたいという思いを持っていたんだと思います。
やりたかった産業保健師、
実際にやってみると、とてもやりがいがありました。
管理職の人の話を直接聞けることでした。
普通の社員だと、なかなか役職がある人と直接話をすることはありませんが
保健師は健康相談や部下のメンタル相談などで
直接管理職などの人と話をする機会がたくさんあるのです。
もっと管理職の人の悩みを減らしたいな・・
前向きに働く人が増えたら、どれだけ管理職の人は楽になるんだろう・・
もっと力になりたいなぁ
そう思ったとき、私は、経営者さんや管理職の悩みやホンネを聞くには、
社員として雇われるより、外部の人間として関わる方が
効果的なのではないかと考えました。
そこで保健師として独立しようと試みたのですが、
色々な交流会で「社員の健康管理を請け負います。」と言っても、
経営者さんの反応は「へぇ。いいことやってますね。」ぐらいの反応で
保健師と外部契約するメリットを感じてもらえませんでした。
何をアピールしたらいいかもわかりませんでした。
まずは自分の”売り”を作ってから独立しようと思い
保健師として独立することを一旦諦めました。